書籍・雑誌

2015年7月28日 (火)

「八日目の蟬」 角田光代 を読んで

 角田(かくた)光代さん、初めて読みました。

 ここ数年に読んだ本を振り返ると、夫のおすすめ以外は、映画やテレビドラマになったお話が多いのですが、こちらも2011年に永作博美 主演、 井上真央 助演 で映画化されています。
 映画のキャッチフレーズが「なぜ、誘拐したの? なぜ、私だったの?」「優しかった お母さんは、私を誘拐した 人でした。」で、表紙に書かれていましたので、 子どもを誘拐するお話なのだな、と知っていて、読みたいけど怖い、という心境でした。

 先日、たまたま古本屋さんで見かけ、おそるおそるページを開くと、プロローグ(0章)から引き込まれ、思わず買いました。
 

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2015年1月24日 (土)

奥の深い「グリム童話」

最近、子どもが幼稚園で読んでもらった「グリム童話」に興味を持ちました。

幼稚園から毎週本を借りられるのですが、その本は借りられないそうな。

先生に問い合わせると、ぎょうせい出版の「完訳 グリム童話」だと教えて下さいました。

定価は5400円ですが、品切れで増刷予定も無し。貴重な本なのですね。

ネットで調べてみると、グリム童話はグリム兄弟が改版を重ね、日本で訳されているのが

初版 白水社、小学館

第2版 ぎょうせい出版

第7版 岩波文庫、角川文庫、ちくま文庫・筑摩書房

不明 偕成文庫


改版するごとに、グリム兄弟が加筆したり、残酷なお話が削除されたり。

そのことから、初版と最終第7版が普及したのでしょうね。

第2版は初版と同様に素朴な口伝え形式で、初版では別巻になっていた注釈もなく読みやすいとのこと。

第2版を底本とした完訳、手に入れたくなりました。
Amazonでは定価を上回る5800円程度で中古が売られています。しばらくは、ブックオフや古本屋さんで探してみます。

小学館の「完訳 グリム童話集」も、Facebookの投稿を読んだ友人のつてで安く買えそうなので、次の候補に。ただ、こちらは挿絵はイラストのようです。


幼かりし時に家にあったグリム童話の本は、それなりに残酷な話も挟まれ、挿絵も昔風。
できたら同じものを、と思いつつ巡り会えないまま子どもは6歳になってしまいました。

日本の昔話も、幼稚園で無料で配られるものは口語体で絵も現代的。
昨年、小学校受験対策に慌てて日本の昔話を講談社絵本で何冊か買ったところ、背景や着物も含めて美しい日本画で描かれ、私の方がうっとりしてしまいました。
グリム童話集も、銅版画などが挿絵として使われているものもあるようです。
子どものため、と言いながら、実は自分が楽しんでいたりして(^^)/~~~

2013年8月17日 (土)

瀬戸内の島々 ~小豆島編(2)

 春休みに訪れた小豆島。
 2日目はツレアイが前から行きたがっていた二十四の瞳 映画村を目指します。
 壺井栄さんの「二十 四の瞳」は昭和27年(1952年)に発表された小説ですが、私は小学校時代の教科書で一節を読み好きになれず、読まずじまい。
 昭和29年に高峰秀子主演、昭和62年(1987年)に田中裕子主演で映画化されており、後者を観たツレアイの頭に「小豆島=二十四の瞳」とインプットされたようです。(ツレアイは尾道、五島列島など気に入った映画のロケ地を巡るのが好きなのです。)

 実は小説には「瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女の先生が赴任してきた。」とだけで、小豆島とは書いてありません。壺井栄さんが小豆島の出身であったこと、「百戸あまりの小さなその村は、入り江の海を湖のような形に見せる役をしている細長い岬の、そのとっぱなにあったので、対岸の町や村へゆくには小舟で渡ったり、うねうねとまがりながらつづく岬の山道をてくて歩いたりせねばならない。」岬の村に小学1年生から4年生が通う分教場があったことから、その少し先にロケ用の分教場が建てられ、今でも映画村として公開されています。

 宿からオリーブ園、醤油蔵の町を抜けて海沿いの道を走ると、岬の突端に映画村がありました。分教場の前は海。うちの子供はロケに使われた古いボンネットバスの運転席に乗り込んで、離れようとしませんでした。海の魚が泳いでいる川が流れていたり、壺井栄文学館、古い映画が見られるキネマ庵、そのほかレトロな土産物屋や食事処があり、午前中いっぱい過ごしてしまいました。

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 「二十四の瞳」は小学校の教科書にも載るくらいですから子供向けかと思っていたら、とんでもない。
 昭和3年(1928年)に岬の分教場へ赴任してきた「女学校の師範科を出たぱりぱり」の大石先生と一年生十二人のその後を、断続的に終戦翌年(昭和21年)まで描いています。女子七人のうち三人は、母親がお産直後に亡くなり、赤ん坊の世話のため学校に来られなくなった上、後添えが来たら親戚の家へやられてしまったり、嫁入り前に女中奉公へ出て結核にかかり物置小屋でひっそりと亡くなったり、家が傾き売られたり、と現代では考えられない運命が待ち受けています。五人の男子も三人が戦死、一人が戦地で視力を失って帰郷しと戦争に巻き込まれます。大石先生も夫、母親、娘を亡くし、息子二人を抱えて困窮したところを、教え子の力添えもあって、戦後再び分教場の教壇に立ち、かつての教え子と再会します。

 壺井栄さんは、昭和二十七年にこの作品が出た時の「あとがき」に、
「くりかえし私は、戦争は人類に不幸をしかもたらさないということを、強調せずにはいられなかったのです」
と書かれたそうです。
 敗戦により言論、集会結社、出版、思想の自由が認められたものの、昭和二十五年に朝鮮戦争が始まり、警察予備隊の設置、レッド・パージ、二十六年には破壊活動防止法の交付、公安調査庁の設置と情勢が急速に変化する中での執筆だったとのことです。

 そんな作者の思いが随所に出てきます。
 
 
 
 
 昭和八年に近くの町の小学校教師が教え子に反戦思想を吹き込んだとして警察に逮捕され、その証拠となる綴り方『草の実』は大石先生が感心するできばえでしたが、ほかの先生によって火鉢で燃やされます。
 昭和十六年に子供のランドセルを買いに来た大石先生が、かつての教え子達が徴兵検査を受けに行くに偶然出会い涙するのに、居合わせた年よりが
 「えらいこっちゃ。あやってにこにこしよる若いもんを、わざわざ鉄砲の玉の的にするんじゃもんなあ。」
 「ほんとに。」
 「こんなこと。大きな声じゃいうこともできん。いうたらこれじゃ。」
 ランドセルをもったまま両手でうしろにまわし、さらに小声で、
 「ほれ、治安維持法じゃ。ぶちこまれる。」

と声をかけるシーンがあり、
 家に帰り、ランドセルを背負ってうれしそうに走り回るわが子の姿をみて、
 その可憐なうしろ姿の行く手にまちうけているものが、やはり戦争でしかないとすれば、人はなんのために子をうみ、愛し、育てるのだろう。砲弾にうたれ、裂けてくだけて散る人の命というものを、惜しみ悲しみ止どめることが、どうして、してはならないことなのだろう。治安を維持するとは、人の命を惜しみまもることではなく、人間の精神の自由をさえ、しばるというのか……。
      中略
 今年小学校にあがるばかりの子の母でさえそれなのにと思うと、何十万何百万の日本の母たちのこころというものが、どこかのはきだめに、ちりあくたのように捨てられ、マッチ一本で灰にされているような思いがした。

 と続きます。
 

 
 

 
 終戦から六十八年、「二十四の瞳」が書かれてから六十一年がたちました。
 もし、現在のような保育所や家事を楽にしてくれる家電の数々があったら、松江は赤ん坊を遺して母親が亡くなっても、学校に通い続けられたのではないか、そもそも母親は妊娠中毒症から早産したのちに脳出血を起こしたと思われるので、現在の医療水準であれば助かったのではあるまいか。コトエも結核で死ぬことはなかったであろう。
 憲法改正が話題になる昨今、自分の子供を戦場に送ることに母親たちはノー言えるだろうか。いや、言わなければならない。
 かつて親や祖父母が経験した戦争のこと、子供の世代にも伝えなくてはと思いました。
 そういえば、松江市の閲覧制限で話題になっている「はだしのゲン」、未読でした…

 

 

 

 
 
 

2013年1月 7日 (月)

「千日紅(せんにちこう)の恋人」 帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)を読んで

 新年、あけましておめでとうございます。お正月休みは皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか?

 10年ほど前にツレアイと知り合ってから、毎年ツレアイの実家で年越しをします。ツレアイは4人兄弟。それぞれの家族が一つの家に集結する様は昨年のブログにも書きました。
http://tokidoki-naikai.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-95b7.html

 今年は13歳、11歳、6歳の姪達が成長して、お掃除や食器の片付け、4歳の長男と2歳の姪の遊び相手、と大活躍。1月2日の朝食は上の二人がクレープを焼いてごちそうしてくれました。私達は12月30日に着いて、31日には近くのモールへ出かけてしまったので、お節の準備はすっかり義母任せ。義母にもしものことがあったら、このお正月風景はどうなってしまうのだろう、と危機感を覚えつつ、買い出しや年越しそば作りで少しばかり貢献したのでした。

 
 
 明けて2日に私の実家へ移動。父と姉一家三人の静かな家で、長男と小学校3年生の甥が仲睦まじく遊ぶ様子につい顔が緩みました。3日は父の喜寿のお祝いで外食。その前に、姉と二人でデパートへ出かけてお祝いにセーターを買いましたが、姉妹で出かけるなんて何年振りか…母の遺品のジュエリーの整理までは手が回らず、近々の再訪を約束して、岡山へ帰ってきました。

 知り合いのご夫婦には、相手のご両親と合わないため、夫婦で実家へ帰るなんて考えられない、なんて方もいらっしゃるので、こうして短い間ながらも実家を行ったり来たりできるのはありがたいことです。

 ところで、父が帰りの飛行機で読むようにと渡してくれた文庫本が「千日紅(せんにちこう)の恋人」 です。 帚木蓬生さんの作品は「風花病棟」「蝿の帝国」に続いて3冊目。2005年の作品が2008年4月に文庫化され、2010年12月には十一刷です。

 

 
 

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2012年10月15日 (月)

「風花病棟」帚木蓬生 を読んで

 帚木(ははきぎ)蓬生(ほうせい)さん。

 ・1947年 福岡県生まれ
 ・東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退職して九州大学医学部に入学。
 ・精神科医。八幡厚生病院診療部長を経て開業。ギャンブル依存に関する著作あり。
 ・1993年「三たびの海峡」で吉川英治文学新人賞、1995年「閉鎖病棟」で山本周五郎賞、
  1997年「逃亡」で柴田錬三郎賞を受賞。
 ・2008年急性骨髄性白血病に罹患し、半年間の闘病ののち復帰。

 文庫本の著者経歴、あとがき、Wikipedia、インタビュー記事などから抜き出してみました。
 日頃、映画やドラマの原作(映像作品は観ていないことが多い)や知人・家族のおすすめの小説を手に取ることが多い私にとって、全く存じ上げない作家さんでした。たまたま、医師会の新聞で第二次世界大戦の軍医の記録を元に書かれた「蝿の帝国」「蛍の航跡」が第1回日本医療小説大賞を受賞、という記事を読み、何時か読もうと心に留めておきました。「風花病棟」という短編集が、ネットで高評価だったので、手に取ったのでした。1998年から2008年までの間に書かれた10編の短編が納められています。

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2012年9月 8日 (土)

「阿弥陀堂だより」南木 佳士 を読んで

先日、スマホからブログの記事が書けるかどうか試している時に、「下書き」を選択する前に保存してしまったのか、題名のみで放置しておりました。adlerさん、ご指摘ありがとうございますm(__)m                                        

 夕方長男を車に迎えに行く頃、ヘルメットを被って自転車で下校する中高生に遭遇することが多くなり、夏休みが終わったのだな…と実感します。内科学会のセルフトレーニング問題の提出期限が今月一杯にせまり、勉強しなくては、と気は焦りますが、ついPCを立ち上げるとネットサーフィンに耽ってしまい、夏休み末の学生の気分です。

 週一回の特急通勤の時も、つい学会誌より小説に手が伸びます。日頃、医療ネタのドラマや映画はほとんど見ないのですが、海堂 尊さんは以前から気になっており、この夏は「アリアドネの弾丸」「マドンナ・ヴェルデ」を図書館で借りて読みました。「アリアドネの弾丸」は田口・白鳥コンビが活躍する東城大学病院を舞台とするシリーズの最新作です。第1,2作の「チーム・バチスタの栄光」「ナイチンゲールの沈黙」は以前に読んでいたのですが、不覚にも第3,4作の「ジェネラル・ルージュの凱旋」「イノセント・ゲリラの祝祭」は飛ばしてしまいました。このシリーズは著者の専門である「Ai(Autopsy Imaging, 死亡時画像診断」を啓発する目的で書かれたと思われますが、個性的なキャラクターや筋立てに引き込まれ、一気に読んでしまいます。「マドンナ・ヴェルデ」は代理母の話。専門的な話題を、飽きさせずに読ませる手腕は素晴らしいなぁと思います。

 でも、海堂氏は放射線科医で長く大学病院や国立の施設で働かれている方で、数年来市中の病院で内科医をしている私の感覚とはフィットしない部分もあるように感じました。エンターテイメントではなく、もう少し患者や医療関係者の機微が描かれた作品を読んでみたいと思ったのです。

 そこで思いついたのが、南木圭士さんです。これまで小説は読んだことはなかったのですが、エッセイか何かで、神経を病みつつ、内科医として町立軽井沢病院に勤めながら、細々と著作を続けている、という経歴に触れたことがありました。町立軽井沢病院は、父が所有する別荘の近くにあり、家族が滞在中に受診したこともありますし、南木さんが住まわれていたという職員住宅の近くを散歩したこともあります。親近感を抱きながらも、何から読んで良いかわからず手をつけていなかったのです。

 そこで、映画化された「阿弥陀堂だより」を図書館で借りて来ました。

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2012年4月29日 (日)

大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ 中村仁一 を読んで

 桜が散ったと思ったら、初夏の陽射しを浴びてハナミズキが咲き、駆け足で季節が移っていきますね。
 ハワイ旅行の顛末も終わっていないのですが、先日の内科学会総会で宗教学者の山折哲雄さんの講演で紹介されていた本について書きます。

 表題はかなり過激です。著者は病院長・理事長職を経て60歳(2000年)の時から特別養護老人ホームの配置医をされています。不整脈の発作をきっかけに仏教の勉強をされ、1985年から「病院法話」を開催、1996年から「自分の死を考える集い」を主宰されていて、「知る人は知っている」存在だったようです。

 12年間の老人ホーム勤務で、最後まで点滴注射も、酸素吸入もいっさいしない「自然死」を数百例経験され、「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはず、と書かれています。(具体的には生命力が衰えてくると飲み食いの必要がなくなり、「飢餓」で脳内でモルヒネ様物質が分泌されいい気持ちになり、「脱水」で意識レベルが下がりぼんやりとして、呼吸が悪くなり酸欠から脳内モルヒネ様物質が分泌され、炭酸ガスによる麻酔作用により、痛みや苦しみもなく、安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに、この世からあの世へ移行することになると解説されています。)それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまった。

 最近増えている胃瘻について、いのちの火が消えかかっている状態での胃瘻は、回復させることも、生活の質の改善も期待できないしどころかかなりの苦痛と負担を強いることになる、と胃瘻歴4年、85歳で亡くなった女性の関節が曲がって固まった手足の写真を載せています。「胃瘻が実施される理由として、医療者側の、できることはすべてしなければならないという使命感、また、家族側の、しないと餓死させることになる、見殺しにはできないという罪の意識を挙げています。その背景にまだまだ先と思った親の死が、いきなり目の前につきつけられ、もっときちんとかかわりを持っておくべきだったていう自責の念から延命措置である強制人工栄養に走るのが大部分、と厳しい指摘。辛くても「死ぬべき時期」にきちんと死なせてやるのが"家族の愛情"というものでしょう。その通り!と膝を打ちました。

 また、年寄りの最後の大事な役割は、できるだけ自然に「死んでみせる」こと、「自然死」を家族に「看取らせる」ことにあり、そのためには本人の決心、希望だけでなく、介護してくれる家族に負担をかけず、症状の急変した時の対応に不安を感じないよう、「信念」と「覚悟」が必要と説いています。「死ぬ時のためのトレーニング」について指南されていますし、自宅で事切れた時に家族が「保護責任者遺棄致死の罪」で取り調べを受けないように、死亡の確認と死亡診断書の発行をしてくれる家庭医が必要、と非常に実践的です。

 著者の死生観に影響を与えた父親の死にっぷり、「自分の死を考える会」のこと、人生の節目に生き方を振り返る「生前葬」のすすめ、意思表示不能時の「事前指示書」の重要性、超高齢者のがん(天寿がん)のことなど、たいへん読み応えがあり、幻冬舎新書\760はお買い得でした。某ショッピングサイトでは、「がんは抗がん剤や放射線などの治療で痛めつけなければ痛まない」というのは信憑性がない、というレビューがありました。この点に関しては、著者も「発見当時に痛まなければ」と注釈を入れられていますし(痛みがあれば当然病院で手当てを受けられます)、特別養護老人ホームへの入居者は「ぼけ」が進んだり、活動度が低い方が多いためかな?とも思います。がんに関する記述にのみとらわれない方が良いと感じました。

 私事ですが、明治生まれの父方の祖母は、脳梗塞で体も頭も不自由になり、自宅に戻って来ました。食が細ってきた最期の頃、介助しなから「なぜ食べないの?」と問うた私に「だって、おばあちゃんが長生きしたら、パパもママも(私の両親のこと)困るだろ」と澄んだ目で答えたので、返す言葉に困りました。それから数日後の夜中にひっそりと息を引き取ったのですから、見事な「死にっぷり」。その影響か、病院で点滴や人工栄養で生かされているお年寄りを診ると申し訳ない気持ちになりますし、本書の趣旨に強い共感を覚えます。何時かこの思いを仕事に生かせる日が来ますように。 

2012年3月16日 (金)

「海の底」有川浩 読みました!

 夕方6時頃でもまだ明るいと思ったら、来週はお彼岸ですね。まだ朝晩冷え込むので、週一回の鳥取への通勤に備えて冬用のダウンコートをクリーニングに出していないのですが、そろそろスプリングコートに替えようかしら、と思っています。

 先週の鳥取通勤では、有川浩の自衛隊シリーズの最終作「海の底」を読みました。往復の車内で読み切れなかった分は、子供と夫が寝た後で炬燵で読み切ってしまいました。海上自衛隊の潜水艦に、問題児の幹部候補生と子供たちが閉じ込められる。子供の中に高校生の女の子が一人だけいて…不器用な恋愛、そして子供たちの心の成長が描かれていますが、その描写が素晴らしい。自衛隊シリーズの中では、一番好きです。

 「阪急電車」「レインツリーの国」から有川浩さんを読み始めたので、デビュー作の「塩の街」を読んだ時には、「こんな突飛な設定をしなくても十分書ける人なのに…」と違和感を覚えました。でも、単行本のあとがきや「ストーリー・セラー」を読むうちに、彼女はこれを書かずにはいられない人なのだ、と思いました。本作品のあとがきにも「それにしても何で毎回怪獣にベタな青春だの恋愛だの混ぜんのよ、と思われる向きもあるかと思いますが私にこれ書くなってのは息するなってのと一緒なのですみません。」とあります。

 「塩の街」で大賞を受賞した電撃小説大賞はティーン向けのライトノベルが対象で、編集者の意見で主人公の年齢などの設定が変えられたそうです。でも、その編集者は受賞前から、ライトノベルの電撃文庫としてではなく単行本として刊行しようと思っていたそうですから、年齢を問わず読める作品だと看破していたのでしょう。最初に図書館で有川さんの著作を検索して、アスキー・メディアワークスという出版社名を見た時は???でしたが、編集者さんの英断に感謝です。

 次は「図書館戦争」シリーズか自衛隊ラブコメの「クジラの彼」にすすみます!

2011年12月17日 (土)

Story Sellerを読んで

 今、特急はくとで智頭急行線を走っています。先週末に神戸ルミナリエに行く道中、備前付近の山々はまだ紅葉が残っていましが、目の前の山や家々の屋根にはうっすら雪が積もっています。季節の移り変わりと地形による天候の違いを実感します。今晩は岡山で職場の忘年会に出席する予定ですが、帰りの電車が普通に動きますように。

 ところで、先ほど新潮文庫のStory Sellerを読み終えました。1ヶ月ほど前に、姫路駅構内の書店で゛これぞ「物語」のドリームチーム。日本のエンターテイメント界を代表する7人が、読み切り小説で競演!短編並の長さで読み応えは長編並゛というカバーに惹かれ、伊坂幸太郎、近藤史恵、有川浩、佐藤友哉、本多孝好、道尾秀介、米澤穂信という1969年〜1980年生まれた若い書き手の作品に触れてみたいと思い衝動買いしました。まさに読み応えは長編並で、鳥取に行く度に電車内で1〜3話ずつ惜しむように読んで来ました。

 有川浩以外は初めて読む作家ばかりでしたが、どれも面白く、またいじめや虐待などが背景にありながら希望を感じさせる作品もあり、時代の空気が伝わってきました。

 私は頑固者で眼鏡は中学一年生で初めてお世話になった眼鏡屋さんに今でもお世話になりますし、美容院も一度決めたらずっと通います。読書に関しても、時代作家なら池波正太郎、藤沢周平、翻訳ものはヘミングウェイ、Jアービング、エンターテイメント作品なら宮部みゆき、大沢在昌、内田康夫あたりを偏愛してきました。地方に暮らすようになってからは車を運転して移動するようになり、読書量がめっきり落ちて最近の書き手を知らずにいましたので、このような一冊に出会えたのは嬉しい限りです。特に近藤史恵さんの息詰まるように濃密な人物描写に惹きつけられました。時代物も書かれているようなので読んでみたいです。

2011年9月30日 (金)

「平穏死」のすすめ~口から食べられなくなったらどうしますか~を読んで

つい先日、Facebookを始めました。高校の同期生のグループへの参加するためでしたが、次々に”友達”から発信されてくるニュースフィードに追いつくのが大変で、普段はたまにしか開かないノートPCにかじりつく日々でした。だんだんペースが掴めてきましたが…

ところで、今年の夏休みは長期休暇をとらなかったので、7・8月は週1回の鳥取通いで読書が進みました。有川浩さんの自衛隊シリーズ「塩の街」「空の中」、海堂尊さんの「チームバチスタの栄光」を読破。John Irbingの "The Cider House Rules" も電子辞書片手に読み始めました。その分、学会誌の方はおろそかになっていて反省_(._.)_

今年の3月頃に読んだ本で、ずっとブログに書こうと思っていたのが、特別養護老人ホーム 芦花ホーム 医師 石飛幸三さんが書かれた『「平穏死」のすすめ』です。副題に「口から食べられなくなったらどうしますか」とあります。

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