旅行・地域

2013年8月17日 (土)

瀬戸内の島々 ~小豆島編(2)

 春休みに訪れた小豆島。
 2日目はツレアイが前から行きたがっていた二十四の瞳 映画村を目指します。
 壺井栄さんの「二十 四の瞳」は昭和27年(1952年)に発表された小説ですが、私は小学校時代の教科書で一節を読み好きになれず、読まずじまい。
 昭和29年に高峰秀子主演、昭和62年(1987年)に田中裕子主演で映画化されており、後者を観たツレアイの頭に「小豆島=二十四の瞳」とインプットされたようです。(ツレアイは尾道、五島列島など気に入った映画のロケ地を巡るのが好きなのです。)

 実は小説には「瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女の先生が赴任してきた。」とだけで、小豆島とは書いてありません。壺井栄さんが小豆島の出身であったこと、「百戸あまりの小さなその村は、入り江の海を湖のような形に見せる役をしている細長い岬の、そのとっぱなにあったので、対岸の町や村へゆくには小舟で渡ったり、うねうねとまがりながらつづく岬の山道をてくて歩いたりせねばならない。」岬の村に小学1年生から4年生が通う分教場があったことから、その少し先にロケ用の分教場が建てられ、今でも映画村として公開されています。

 宿からオリーブ園、醤油蔵の町を抜けて海沿いの道を走ると、岬の突端に映画村がありました。分教場の前は海。うちの子供はロケに使われた古いボンネットバスの運転席に乗り込んで、離れようとしませんでした。海の魚が泳いでいる川が流れていたり、壺井栄文学館、古い映画が見られるキネマ庵、そのほかレトロな土産物屋や食事処があり、午前中いっぱい過ごしてしまいました。

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 「二十四の瞳」は小学校の教科書にも載るくらいですから子供向けかと思っていたら、とんでもない。
 昭和3年(1928年)に岬の分教場へ赴任してきた「女学校の師範科を出たぱりぱり」の大石先生と一年生十二人のその後を、断続的に終戦翌年(昭和21年)まで描いています。女子七人のうち三人は、母親がお産直後に亡くなり、赤ん坊の世話のため学校に来られなくなった上、後添えが来たら親戚の家へやられてしまったり、嫁入り前に女中奉公へ出て結核にかかり物置小屋でひっそりと亡くなったり、家が傾き売られたり、と現代では考えられない運命が待ち受けています。五人の男子も三人が戦死、一人が戦地で視力を失って帰郷しと戦争に巻き込まれます。大石先生も夫、母親、娘を亡くし、息子二人を抱えて困窮したところを、教え子の力添えもあって、戦後再び分教場の教壇に立ち、かつての教え子と再会します。

 壺井栄さんは、昭和二十七年にこの作品が出た時の「あとがき」に、
「くりかえし私は、戦争は人類に不幸をしかもたらさないということを、強調せずにはいられなかったのです」
と書かれたそうです。
 敗戦により言論、集会結社、出版、思想の自由が認められたものの、昭和二十五年に朝鮮戦争が始まり、警察予備隊の設置、レッド・パージ、二十六年には破壊活動防止法の交付、公安調査庁の設置と情勢が急速に変化する中での執筆だったとのことです。

 そんな作者の思いが随所に出てきます。
 
 
 
 
 昭和八年に近くの町の小学校教師が教え子に反戦思想を吹き込んだとして警察に逮捕され、その証拠となる綴り方『草の実』は大石先生が感心するできばえでしたが、ほかの先生によって火鉢で燃やされます。
 昭和十六年に子供のランドセルを買いに来た大石先生が、かつての教え子達が徴兵検査を受けに行くに偶然出会い涙するのに、居合わせた年よりが
 「えらいこっちゃ。あやってにこにこしよる若いもんを、わざわざ鉄砲の玉の的にするんじゃもんなあ。」
 「ほんとに。」
 「こんなこと。大きな声じゃいうこともできん。いうたらこれじゃ。」
 ランドセルをもったまま両手でうしろにまわし、さらに小声で、
 「ほれ、治安維持法じゃ。ぶちこまれる。」

と声をかけるシーンがあり、
 家に帰り、ランドセルを背負ってうれしそうに走り回るわが子の姿をみて、
 その可憐なうしろ姿の行く手にまちうけているものが、やはり戦争でしかないとすれば、人はなんのために子をうみ、愛し、育てるのだろう。砲弾にうたれ、裂けてくだけて散る人の命というものを、惜しみ悲しみ止どめることが、どうして、してはならないことなのだろう。治安を維持するとは、人の命を惜しみまもることではなく、人間の精神の自由をさえ、しばるというのか……。
      中略
 今年小学校にあがるばかりの子の母でさえそれなのにと思うと、何十万何百万の日本の母たちのこころというものが、どこかのはきだめに、ちりあくたのように捨てられ、マッチ一本で灰にされているような思いがした。

 と続きます。
 

 
 

 
 終戦から六十八年、「二十四の瞳」が書かれてから六十一年がたちました。
 もし、現在のような保育所や家事を楽にしてくれる家電の数々があったら、松江は赤ん坊を遺して母親が亡くなっても、学校に通い続けられたのではないか、そもそも母親は妊娠中毒症から早産したのちに脳出血を起こしたと思われるので、現在の医療水準であれば助かったのではあるまいか。コトエも結核で死ぬことはなかったであろう。
 憲法改正が話題になる昨今、自分の子供を戦場に送ることに母親たちはノー言えるだろうか。いや、言わなければならない。
 かつて親や祖父母が経験した戦争のこと、子供の世代にも伝えなくてはと思いました。
 そういえば、松江市の閲覧制限で話題になっている「はだしのゲン」、未読でした…

 

 

 

 
 
 

2013年7月23日 (火)

瀬戸内の島々 ~小豆島編(1)

 2月以来、長い時間ブログを放置しておりました。
 この間、体調を崩したり怪我をした訳でもなく、どうしてだろう?といつも自問自答していました。

 
 

 おそらく
 (1)離れて暮らす家族への現況報告をFacebookでするようになった。(最もITに弱い父にもアカウントを作成)
 (2)古いノートPCがいよいよ遅くなり、新しいPCへの移行を迫られつつ腰を上げなかった。
 (3)帰省、子供の予防接種やちょっとした体調不良により、月曜日がつぶれることが多く、まとまった時間がとれなかった。
 などがブログから遠ざかった要因であったと分析します。

 気軽にスマホから投稿すれば良いのかな?とも思いますが、ブログにまとめるために自分なりに調べたり考えたりするのも大切な時間、と思い直し、新しいPC(といっても昨年の11月に購入したWindows7搭載マシン)から綴っております。

 
 

 さて、今年の春休み、東京から来た新4年生になる甥とわが家族と4人で小豆島へ行ってきました。
 初めて島を訪れるにあたり、壺井 栄の「二十四の瞳」と、小豆島で亡くなった俳人 尾崎放哉の晩年を描いた吉村 昭の「海も暮れきる」を購入しました。前者は何とか旅行中に読み切ったものの、後者はようやく先週から読み始め、昨日読了。どちらも読み応えがあり、その興奮が去らぬ間に!
 
 

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2013年2月26日 (火)

ああ、懐かしの渋谷駅~祖母との思い出

 先日、中学高校の同級生がFacebookで東横線の代官山ホームの地下に、新しいホームが見えると写真を載せていました。それに合わせるかのように下記のような記事を目にしました。

東横・副都心線直通まであと3週間 止まない「乗り換え面倒、断固反対」の声
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-166860/1.htm

 生まれた時から中学一年まで地下鉄銀座線の外苑前に住んでいて、両方の祖母も渋谷から便の良いところに居たため、物心がつかないうちから渋谷によく連れて行かれました。祖母達は今はヒカリエに変わった東急文化会館がお気に入り。鳩居堂、化粧品店、小間物店などをひとしきり見て回ってから、父方の祖母はジャーマンベーカリー、母方の祖母は立田野で一服して、東横のれん街でお惣菜を買って帰るのが定番コースだったように思います。

 渋谷駅から東急文化会館へ渡るガード下は鳩が群れており、鳩にやる豆をリヤカーで売っていたり、靴磨きや傷病者の物乞いがいたり、まだかすかに戦後の雰囲気が残っていました。その風景の中、東横線のホームの独特の形をした外壁は子供心に強烈にアピールしたらしく、中に何が入っているか興味をそそられました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:ShibuyaEastExit2005-5.jpg

 おそらく3歳前後の頃、母方の祖母と出かけた際にも中に何があるか質問攻めにしたのでしょう。祖母が電車が通っていると答えたら、どうしてもその電車に乗ると言ったらしいのです。(本人には記憶が無いのです)
 夕刻に差し掛かる時、きっと母だったら「夕飯の支度があるからダメ」とにべもなかったのでしょうが、祖母は優しい…寮母をしていた社員寮に電話して、女中さんに指示を出した後、東横線に乗って日吉駅まで行き、改札口を出て帰ってきてくれたそうです。

この話は、私が大人になってから「何故か渋谷駅の東横線の外壁を見ると、乗ってみたくなるのよ」と祖母に話したところ、「そりゃそうよ。」と語ってくれたものです。

 少々気難しくてしつけに厳しかった父方の祖母と違い、母方の祖母は心配性で孫が可愛くて仕方なくて、少々無理なお願いでも聞いてくれたり、泊まりに行った時に夜遅くまで起きていても叱らなかったり、無条件に自分を受け入れてくれる存在でした。母に叱られて家にいたくない時にも、「歩いておばあちゃんちに行ければ大丈夫…」と思うと我慢できました。
 そんな祖母との思い出が詰まった東急文化会館が渋谷ヒカリエに建て替わり、地上2階の東横線ホームが地下5階に潜ってしまう…新陳代謝の活発な町なので仕方ないのですが、ちょっと寂しいです。

 

 祖母は49歳で初孫が生まれ、おばあちゃんになりました。4人目の孫である私が生まれたのは56歳。
 現在、私は43歳で4歳男児の母。二昔前なら孫がいてもおかしくない年ですね。母はすでに亡く、義母は70代半ばで大変エネルギッシュですが、孫が全部で5人いて忙しいし遠方のためしょっちゅう会えない。父は70代後半で、孫のリクエストを叶えようにも体がついていかない。私にとっての母方の祖母のような存在は、うちの子には残念ながらいません。

 昨今、「自殺者3万人」や「通り魔無差別殺人」などの報道に接すると、人生につまづいた時に、自己を否定しすぎると自殺、自己を肯定しすぎると極端な例では無差別殺人の方向に行ってしまうのかな、と感じます。子供が将来にわたって「丁度いい自分」でいるためには、時には厳しい母と優しい祖母の役割を演じ分ける必要があるように思い、模索する日々です。
 
 
 

 

 

2012年5月27日 (日)

親子三代ハワイ旅行~オアフの風景

 あっという間に、5月も最後の週末。3月のハワイ旅行から2カ月たってしまいました。ブログに写真をアップして保存!の一歩手前で記事が消えてしまうという初歩的なミスと、子供の耳鼻科・皮膚科・予防接種などの通院で時間をとられ、ブログの更新も途絶えておりましたが、何とか旅の記録を終わらせてしまいましょう。

 友人の結婚式というミッションが終わった後はお土産探しと観光。

 前回から、私達はKona  CoffeeやChocolateなどの買い物には、Wallmartを利用しています。WaikikiのABC Martなどで買うよりははるかにリーズナブルだし、車で行けるので便利です。米国発のジャンクなお菓子が大好きな夫にはありがたいお店です。Royal Hawaiian Center 1FのCrazy Shirtsでは父が甥にTシャツを買い求めました。それからWaikikiのあちこちで目に付いたHonolulu Cokkie Companyというクッキー屋さん。試食してみたら意外といけるので、お土産&自家用に買いました。

 日曜日の午後から「Waikiki と Ala Moana だけ見て、ハワイを思われては困る!」と元ローカルのツレアイが東海岸へのドライブへ連れて行ってくれました。 

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 これはハロナの潮吹き穴からみたSandy Beach。ボードを使わずに波乗りをするBody Surfinの聖地と言われ、オバマ大統領も休暇中に訪れるとか。でも、若者が中心でトイレも落書きだらけ。ちょっと恐いので今回は遠くから見ただけ。 

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 初めて立ち寄ったMakapuu Beach。静かで大変美しいところでした。こちらは子連れのファミリーが目立ち、お借りしたトイレもちゃんと鍵がかかり、安心して使えました。

  

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 Kailuaの街で飲み物を買ってトイレブレイクをとった後、いつも強い風が吹いているNuanu Pali 展望台へ。Pali Highway は、徒歩や馬車の時代からNorthとHonoluluをつなぐ要路であったそうで、展望台付近には旧道が残っていました。駐車場には色鮮やかな野生の鶏がいました。

 最終日に「一生に一度でいいからヘリコプターに乗ってみたい」という父の発案で、ヘリコプターに乗りました。

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 オフショアフライトスクールという会社を予約。ホノルル国際空港の南側にあります。地上スタッフは日本人で、事前にコースや安全面の詳しい説明が受けられるので安心。操縦士は陽気なアメリカ人女性でした。

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 空から見たAla Moana Beach。後ろにはおなじみのShopping Centerが見えます。

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 前の日に陸側から訪れたMakapuu Beach。岬には可愛らしい灯台が見られます。良く見るとトレッキングロードを歩いている人がいます。

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 最後にPearl Harborの上を通りました。アリゾナ記念館、戦艦ミズーリ、入港している原子力潜水艦などが見られました。

 私は父と、長男はツレアイと2回に分けて飛ばせてもらいました。離陸直後はそれなりに揺れますが、長男は怖がることもなく大興奮だったそうです。乗り物は何でも好きな男子で良かった。

 帰国前夜は、義母の友人やツレアイノの友人とダウンタウンの中華料理屋さんで会食でした。美味しいお料理、楽しいおしゃべり(ほとんど聞いてばかりですが)を堪能しました。

 3歳の長男と75歳の父を連れての旅。出かける前は色々心配していましたが、来てしまえば楽しく過ごせるのがハワイ。次はもう少し文化や歴史に触れるmuseumや、ハイキングにも行ってみたい、でものんびりするのもいいかも…と思いつつ筆を置きます。

2012年4月10日 (火)

親子三代ハワイ旅行~結婚式篇

 新年度になり、私の生活はかわらないものの、子供が保育園で進級したり、ツレアイも仕事モードに突入したりで、慌ただしくなりました。忘れないうちに、最初で最後の!?三世代ハワイ旅行の思い出を書き留めたいと思います。

 ハワイ2日目。前夜の就寝が1時を超えてしまい、やっと目覚めたのは9時過ぎでした。ハワイには四季が無い、とハワイ育ちのツレアイは言いますが、やはり日照時間の関係でしょうか。朝晩は風が肌寒いほどです。地上12階のコンドミニアムのお部屋でもエアコンではなくファンで外気を取り入れるだけで休めました。寝不足から風邪気味になった私は、余計に寒く感じたのかもしれませんが。

 この日のミッションは、海好きの長男をビーチに連れて行くことと、翌日の結婚式に備えて父と長男のアロハシャツを買いに行くこと。朝寝坊したので、まずは買い物を済ませることにして、グアバジュース、スパムとシリアル、コーヒーで簡単な朝食。前夜、寝ぼけ眼でWallmartで買った牛乳はバターミルク!とても飲める代物ではなく、階下の売店で改めて牛乳を買いました。

 父をMoana Surfriderの玄関で拾って巨大なAla Moana Shopping Centerへ向かいます。まずは1FのMakai Market Food Courtで父の朝食。長男は美味しいスムージーとフライドポテトをゴクゴクパクパク。よく食べるなぁ。

 アロハシャツを買うのは、ハワイをこよなく愛する義弟(といっても、我々より年上のヨーロッパ人です)おすすめの、Reyn's。 Ala Moana Shopping Centerの2階にあります。前回別の義弟の結婚式に来た時も、ツレアイのアロハをここで買いました。お値段は張りますが、洗濯の後アイロンをかけなくてもよれっとしませんし、クラシカルなデザインが素敵。父と長男のアロハを選び、ついでに今回は来られなかった姪達にお土産にするムームーも買います。買い物の間、長男はずーっとお店の中と外にいるツレアイの間を行ったり来たりして走り続けます。子供好きの店員さん達が温かく声をかけてくれるのがありがたかったです。ついに転んで泣きだした長男ですが、手の甲にお店のステッカーを貼ってもらったらうれしそう。Long's Drugで買い物をして、またFood Courtでお昼ごはんを食べて、ホテルへ帰りました。

 

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 夕方から父のいるMona Surfriderの目の前のビーチで海水浴。ここは防波堤がないので結構波が荒く、引き波に足をとられそうになってちょっと怖い…でも、長男は満足気で上がる時もホテルのプールに入りたがるほど。父の部屋でシャワーを借り、夕飯は車で出かける元気もなく、ホテルのダイニングで取ることにしました。

 予約もなく、海に出かける時の適当な格好のまま格式を誇るホテルのダイニングに入るのは気が引けましたが、幸い遅い時間で屋内のテーブルにはお客はまばら。サービスも申し分なく、美味しいヒレと骨付きリブステーキを堪能しました。ホテルの別棟では日本人カップルの結婚披露パーティーが開かれていて、日本語の音楽やスピーチが流れてくるのは何とも不思議な感じでしたが…海道具と食べた分だけ重くなった長男を抱え、日頃の運動不足を痛感をしながら石畳を歩いてコンドミニアムまで歩いて帰りました。

 翌日はいよいよTammie&Georgeの結婚式。Wedding CeremonyはGeorgeの育ったKaneoheのPali View Baptist Churchで朝9時から行われました。道に迷いながらも何とか滑り込んだ教会は、住宅街の中のこじんまりとした教会。私は隣のKinder Gardenの滑り台やブランコなどの遊具で遊ぶ長男につきっきりだったので、Ceremonyは見られませんでしたが…

 そして、11時からはWikikiの東側、Fort De Russy Beach Parkに隣接したHale Koa Hotelの2階でRecptionが開かれました。丸テーブルの数29。招待客が二百数十人という、ハワイでも今どき珍しい大がかりなものでした。そもそも、新婦のお母さんのNancyさんと義母が親友とはいえ、ツレアイのみならず私の父まで快く列席させて下さったのですから…受付を済ませた人から着席して、Appetizerを取りながら待ち、新郎新婦が入場して写真撮影が終わったテーブルからメインのお食事を取りに行く立食スタイルでした。お昼、そして車での来場ということもあるのでしょうか、会場ではお酒は出ません。

 Georgeさんの親戚一同(従姉弟が13人いるとのこと!)が自作の歌を披露したり、新郎新婦の友人がユーモアたっぷりのスピーチをしたり、2人の生い立ちやなれそめを紹介するスライドショーがあったり、和やかで笑いが絶えないパーティーでした。(私は全てを理解できたわけではないのですが、会場の方々はどっと受けてました。)最後の方で2人の出会いや結婚を決めたエピソードなどに関するQuizが配られました。3-4択式でしたが、2人の初めてのデートは映画を観に行ったこと、GeorgeがTammieと結婚しようと決めたのは、体調が悪い時にチキンスープを作ってくれたから、などなど面白かった。最後にGeorgeがスピーチしてお開き。日本の結婚式のような引き出物はなく、ちょっとしたお菓子とテーブルに飾られたブーケがお土産。そのどちらも手作り。肩の凝らない、楽しい会でした。とにかく、Tammie&Georgeの末永いお幸せを祈ります!

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2012年4月 2日 (月)

親子三代ハワイ旅行~出発篇

 3歳の長男と75歳の父を連れてのオアフ島の旅の続編です。

 今回は、羽田国際空港を3月23日金曜日0時30分発の深夜便で出発です。岡山空港は3月22日の20時20分発なので、木曜日の朝はそれぞれ職場と保育園へ。午後早めに帰宅したツレアイが子供を迎えに行き、猫をペットホテルに預けに行っている間に、私は出発前最後の洗濯にいそしみます。今回は、着替えやパジャマ・海の道具の他に結婚式用の靴や服も詰めたので、スーツケース2個の大荷物。5ドアのマイカーの後部座席を倒して何とか積み込み、岡山空港へ出発。何と岡山空港の駐車場は無料なのです!

 ツレアイが車を遠方の駐車場に停めに行っている間に、ANAのカウンターで3人分のeチケット控とパスポートを提示してチェックイン。預けた荷物はホノルルまで直接行くと聞き、うれしい限り!前回、生後10か月の長男とスーツケースを抱えて羽田から成田へリムジンバスで移動した苦労は何だったんだろう…

 常にハイテンションで動き回る長男を何とかつかまえて、空港のレストランで夕食を済ませて、羽田行きNH660便に搭乗。21時40分に羽田に着いて、長ーい廊下を通って到着ロビーへ。相変わらず元気いっぱいで走り続ける長男を追いかけて、気力を振り絞って国際線ターミナル行きバスに乗り込みました。

 初めて行く羽田国際線ターミナルは、夜の22時過ぎとは思えないにぎわいぶり。両替窓口も食べ物屋さんも24時間営業!心配していた父も先に着いていて、auのカウンターで無事に会えました。父と私がGSM対応の携帯電話をレンタルしたので現地での連絡手段も確保できて、ほっ。eチケット控えでのチェックインといい、便利な世の中になったものです。

 空港の中は暑いくらいで喉が渇き、保安検査、出国審査を済ませてフードコートで一休み。もうすぐ夜中の12時だというのに、プリンアラモードを食べている時以外はじっとせずに歩きまわる長男。お疲れモードの両親より、じいじの方が構ってくれて優しい。

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 ついにバスに乗ってNH1062便に搭乗。長男は離陸前の地上走行中に眠りに落ちました。途中、ウインナーとお水を少々口にしただけでこんこんと眠り続け、着陸直後にむくっと起きて「ハワイ、着いた!?お水遊びに行くっ!」とやおら服を脱ぎ始めたのには笑っちゃいました。両親は2回のお食事の合間に眠ろうとしたものの、ほとんど眠れず、ぼーっとした頭で真昼間のホノルル国際空港に降り立ったのでした。

 入国審査と税関を通って到着ゲートをくぐると、先にホノルル入りしていた義母、叔母、従兄が出迎えてくれました。ノースへドライブへ行くという彼らと別れ、夫の運転するレンタカーでWaikikiのコンドミニアムAston at the Waikiki Banyanを目指します。地図が見やすいガイドブックを持参したものの、一方通行などは詳しく書いていないので、H1を降りてから道に迷いながらKapahulu Ave., Ala Wai Blvdを経由して無事に到着。チェックインして一息ついてから、徒歩で父の泊まるMona Surfrider, Westin Resort & Spaへ。Waikiki Beach沿いの大きなBanyan treeを見て、長男は「トトロの木!穴が無いね…」チェックインしたお部屋は一番リーズナブルな設定でも、ゴージャス!ま、コンドミニアムの倍以上のお値段だから納得。

 小腹が空いたので、ホテルのBeach Barへ行って、Waikiki BeachとDiamond Headを眺めながら早めの夕食。風に吹かれていい気持ち。Beachの少し沖合には浚渫船が見えます。実はWaikikiは元々砂浜ではなく、人工的に砂を入れているのだとか。そういえば、Beach上にはCaterpillar車の黄色い作業車が停まっています。

 20120322moana_surfrider

 その後、車でWard WarehouseのIsland Slipperでツレアイと父のビーチサンダルを購入して、Wallmartで朝食の買い出しをして、長~い一日は終わりました。子供を風呂に入れて寝かせたら、0時近く…2日目の朝は何時に起きられるかな?

 

 

2012年3月31日 (土)

親子三代ハワイ旅行〜準備篇

 春休みですね。
 3月22日から五泊七日(うち一泊は羽田空港)でハワイのオアフ島に行ってきました。今回は知人の結婚式に出席するというミッションに3歳の長男と75歳の父を連れて挑んできました。無事に帰れてほっとしているところです。忘れないうちに顛末を記したいと思います。

 昨年末、義母から「Tammieが来年3月に結婚する。」という嬉しい知らせが届きました。Tammieはツレアイがハワイで育った時の友達ですが、初めて会った時のことは忘れられません。私達が知人への結婚のご挨拶を兼ねてハワイ旅行をした時、早朝にホノルル国際空港に着いた初日に夕食をとりにAla Moana Shopping Centerのフードコートに行きました。ハワイアンバーベキューのお店で注文しようとしたらCasherにいたのがが彼女!ツレアイの注文を受けた彼女は決してお金を受け取ろうとせず、大盛りのプレートを差し出したのでした。温かい人柄と、昼と夜と仕事を掛け持ちしなければならない厳しい現実にジーンと来ました。

 3年前に義弟の結婚式でホノルルに一族で押し掛けた時には、仕事の合間にお母さんのNancyさんとAla Moana Beach Parkでバーベキューを企画し、食べきれないほどのお肉、おにぎり、サラダを用意して、素敵な時間を下さいました。

 それにEメールに添付された二人の写真は幸せそのもの。これは結婚を祝福しに行かねば!と決意しました。

 ハワイへは東京の父も一度は行ってみたいと言っていたのでお正月に帰省した時に誘ってみたら、二つ返事で行く気満々。そこで3歳の"子泣き爺"と75歳の"爺"を連れてのハワイ旅行を決行することになりました。

 しかし、離れて住んでいて準備をすすめるのは結構大変。一口に70歳代といっても義母のように一人で飛行機を乗り継いでイタリアやハワイを行ったり来たりし、ブログからネットショップまで切り盛りするスーパーウーマンもいますが、父は昔から母や事務員さんに事務的なことを依存し、これまでの海外旅行は添乗員同行のグループ旅行が主。PCはSkypeとメールをするくらいで、航空券やホテルの予約はまず無理。航空会社のマイレージカードもどこにあるかわからない。さてどうするか…

 聞くと仕事で飛行機に乗るときは事務員さんが予約してくれているとのこと。そこで私達が岡山から羽田経由の航空券を予約し、そのeチケット控えをFAXして、羽田-ホノルル間の同じ便のビジネスクラスを予約してもらいました。

 私達はいつも気楽なコンドミニアムですが、父はWaikikiでも由緒あるMoana Surfriderに泊まってもらうことにしました。ホテルの予約とESTAは2月に法事で実家に帰った時に、パスポートとクレジットカードを見せてもらいながらクリア。滞在先のホテル名などの渡航先情報の入力も事務員さんに依頼しました。

 結婚式に着るアロハシャツは現地調達することにして、白かベージュ系のスラックスを揃えるように指示。

 あとは現地で使える携帯電話を出発直前に羽田空港のauのカウンターでレンタルすれば大丈夫かな?
 そうそう、両替、レンタカーの予約と機内でのキッズミールの予約、愚猫を預けるペットホテルの予約も忘れずに。

 次回は出発当日へ続きます。

2012年2月28日 (火)

雪山は楽し!

三寒四温とはよく言ったもので、この数日は寒の戻りで冷え込みますね。

先日の日曜日は、また蒜山ベアバレースキー場に行ってきました。

のんびり起きて、11時近くに家を出発。一時間ほど走って米子道に入ると雪が降り始め、近くの山々も真っ白です。

このスキー場、ペアリフトが一本、ゲレンデは二本の小さなスキー場ですが、エスカレーター付きのキッズゲレンデや無料の休憩所・キッズルームがあり、家族連れにはうれしい限り。昼頃はいつも混んでいます。

今回は私もスキーの靴と板をレンタルして、12~3年ぶりにリフトに乗って滑ってきました。リフトに乗っていると、大学時代の12月から3月まで、試験期間を除いた週末のほとんどを雪山で過ごした日々が脳裏によみがえります。部活で合宿でお世話になった飯綱リゾート・妙高高原・雫石、友人と行った志賀高原・ハンターマウンテン塩原・上越国際・猪苗代・万座、家族で行った軽井沢・ニセコ・そしてコロラド!などあちこち行きました。スキーはもちろん、温泉や楽しいお酒(部活の場合は苦しいお酒もありましたが)を満喫したものです。

今は、スキーの上達よりも怪我をしないことが最優先。初中級ゲレンデを慎重に4本滑り、余力を残して休憩。リフトが止まる前にもう一本!と思なったら、レンタルした板が消えており、やむなく子供とソリに乗っておしまいに。温泉で温まって、定食屋でお腹も一杯にして、帰宅。湯原インターから高速道に乗る頃には雪も弱まり、無事帰宅しました。スキー靴があたった脛が少し痛みますが、筋肉痛はなし。よかった、よかった。来シーズンは子供にもスキーを履かせてようかな…

スポーツと温泉が一度に楽しめる雪山の旅は、当分我が家のブームとなりそうです。

2012年2月 6日 (月)

蒜山にスキーに行ってきました!

 今年は寒さとインフルエンザが猛威をふるっていますね。

 我が家の3歳の長男がお世話になっている保育園でもインフルエンザが大流行。この2週間は金曜日になると37.5~38℃の微熱が出て、ちょっぴり心配しましたが、今のところ高熱は出ず元気に過ごしています。

 そんなわけで、昨日の日曜日はかねてから計画していた雪遊びを決行しました。目的地は蒜山ベアバレースキー場。ペアリフトが一本だけのこじんまりとしたスキー場ですが、キッズパークやキッズルームなど、子供連れには嬉しい施設が充実しています。米子自動車道の蒜山インターチェンジから車で5分ほどという好アクセスのため、朝寝坊の我々が9時半頃に岡山市内の家を出て、真庭パーキングエリアで早めのお昼ごはんを食べても、12時に着きました。

 久しぶりにたくさん積もった雪を見たツレアイと子供は大はしゃぎ。

 早速、ツレアイはウエアとボード&シューズをレンタルして、スノーボードのスクールへ入校。受講者では最年長だったそうですが、少年時代にスケートボードに明け暮れ、中年でサーフィンに挑戦した強者だけに、初心者クラスの中では10歳の少年と並んで上達が早かったそうです。リフトにも2回乗ったとか。次回は初級者コースにステップアップの許可が出て、意気揚々と引き揚げてきました。

 一方、私と子供はキッズパークへ。立って乗るエスカレーター(というよりベルトコンベアーそのもの!)があって、汗をかきかき登らなくてもそり遊びが楽しめるのですね。しかも、丈夫なゴム製のチューブは無料で貸してもらえ、キッズだけでなく大人のカップルなども楽しんでいました。うちの子供は滑り台、スライダー大好きのスピード狂なので、普通のそりで直滑降しても全く怖がらず、立ち上がると一人でエスカレーターに乗りに行く始末…何本滑ったことやら。

 日中の営業終了まで楽しみ、温泉とひるぜん焼きそばを堪能して帰りました。

 前から編んでいた子供のマフラーも、何とか往路の車の中で編み終え、風が出て来た夕方には大活躍しました。今度は自分のニット帽を編もうかな。

 私は運動神経は全くないのですが、スキー全盛期の80年代後半に大学生となり、競技スキー部の末席を汚しつつ、友達とも志賀高原や草津などでスキー旅行を楽しみました。おかげで、当時のゴーグル、グローブ、ソックスなどの小物が残っており、 今回も役立ちました。さすがにスキー靴&板は処分してしまったので、今度はレンタルで十数年振りのスキーにチャレンジしてみようかしら…

 ツレアイもスノボにはまったみたいだし、子供も「雪こんこん行く!」と言ってるし、夏のサイクリングなど四季を通じて楽しめる蒜山高原に別荘があったら楽しそう、ちょっぴり真剣に考え始めました。

2011年9月 2日 (金)

鷲羽山ハイランドに行ってきました

先週の日曜日、家族で倉敷市のブラジリアンパーク鷲羽山ハイランドに行ってきました。絶叫マシーン大好きなツレアイが、前々から行きたいと言っていた遊園地です。長男は海に行きたかったみたいだけど、もうクラゲが出るかもしれないし、だったらプールもある遊園地へ!

http://www.w-highland.co.jp/

寝坊してしまい、現地に着いたのは13時頃。夏休み最後の日曜日ということもあって、家族連れで賑わっていました。ジリジリと太陽が照りつける中、ツレアイは迷わず絶叫マシーンの列に並びます。私と長男は待ちくたびれて定番のメリーゴーランドやティーカップへ。並ぶこともなく、あっという間に計3回乗れました。

遅い昼食をカフェテリアで食べていると、目の前のステージでサンバショーが始まり、迫力満点。ショーの締めくくりは観客が参加するサンバのコンテストで、ノリノリの長男もステージに上がりたそうでした。

瀬戸大橋の袂の山麓に作られているため、階段を上るのが大変でしたが、てっぺんにあるターボドロップ(フリーフォール)で一番上に上がった時の瀬戸内海の眺めは最高でした。夕方過ぎると、絶叫マシーンもほとんど待たずに乗れ、ツレアイは各種コースターを満喫していました。子供の遊ぶスペースもあり、暗くなってきても長男は帰ろうとしませんでした。

今回はプールには入りませんでしたが、約5時間の滞在でみんな満足。これからもつぶれずにがんばって欲しい遊園地です。